菊池寛作家育成会

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菊池寛作家育成会出身作家

菊池寛作家育成会出身作家続々デビュー!

菊池寛作家育成会の親身の指導でプロ作家が誕生!このあとに続くのはみなさんです!

デビュー作家(2) 聖神吾

1970年生まれ。大阪府大阪市出身。地元工業高校を卒業後、小説家になることを決意。郵便局に就職し、郵便業務に従事しながら習作に励む。1996年、26歳の時にプロ作家を目指して上京。さまざまな職業を経験しながら本格的に執筆活動に入る。2008年3月、菊池寛作家育成会の存在を知り、本作品で応募、高評価を得る。

  • 「鳳凰の珠/満願丹」
    ■デビュー作品
    「輪廻転殺」聖神吾 著
    B6判452ページ
    1,800円(税込)
    ベストセラーズ刊
    ISBN:978-4930703590
  • 第1回「作家になりたい」
  • 第2回「作家育成会というきっかけ」
  • 第3回「夢を追い駆ける」

聖さんコラム第1回「作家になりたい」

作家になりたい――。 高校を卒業後に、「作家になりたい」と思ってから、二十年の歳月が流れた。今思い起こしてみると、それは決意や夢といったものではなく、十九歳の青年が抱いた、ただの憧れだったのかもしれない。 二十年という歳月は長くもあり、短くもあり、ただひたすら"作家"を追い求めてきた。

プロフィールにもあるとおり、当時は郵便業務に従事しながら、人生で初めて推理小説を完成させた。読書が好きというだけで、小説の書き方など何もわからず、ほとんど手探り状態で書き上げたことを今でも覚えている。到底、小説と呼べるものではなく、文字を並べるだけの稚拙な文章だったが、一つのことをやり遂げた満足感はあった。自分でも小説が書ける、と何か自信のようなものが芽生え、新たな創作意欲もわいた。

それ以来、寝食を忘れるほど読書に明け暮れ、そして文章を書き続けた。作品を仕上げるごとに、いつしか「作家になりたい」という希望が、「作家になる」という決意へと変わっていった。 しかし、決意をしたところで作家になれるわけではなく、幾多の新人賞に応募するものの結果は振るわず、そこから長い長い下積みが続いた。 将来は作家になる、と周りの人たちに宣言した手前、この歩みを止めることも、引き返すこともできなくなっていた。ここで作家になることを諦めてしまえば、今までの苦労はすべて無駄になってしまうと思い、あとは自分自身との戦いだった。

新人賞に応募しては落ち、応募しては落ちの日々が続き、倒れそうになった決意を何度も立て直した。もしかしたら作家にはなれないかもしれない、と頭をよぎったことは数知れず、結果の出ない人生に焦りさえ感じるようになった。

そんなある日、決意だけでは作家になれないと気づいた。 決意は弱い。時として倒れることがあり、実際、何度も倒れそうにもなった。作家になるには"決意"ではなく、作家になるという"覚悟"が必要なのだ。人間、覚悟を決めれば強くなれるはずだ。 "決意"も"覚悟"も、言い方を変えただけの、ただの言葉遊びなのかもしれないが、作家になることへの意識が変わったことは確かだった。 不思議なもので、覚悟を決めた日を境にして、結果が次々と出るようになった。書き上げた作品を新人賞に応募するたびに、一次予選通過、二次予選通過といった通知が届くようになり、最終選考まで残った作品もあった。自分の中で、作家デビューに片手が届いている、と確かな手応えをつかんだ。

そんな折、知人から「作家育成会」を紹介してもらい、今回こそはという思いで作品を書き上げ、二〇〇八年の三月に応募した。

聖さん第2回「作家育成会というきっかけ」

菊池さんご本人から初めて電話をいただいたのは、「作家育成会」に応募してから三ヶ月後だった。 百枚目まではプロの作家が名前を変えて応募したのかと思った、と大絶賛していただいた。嬉しいかぎりである。その一方、素人が陥りやすいミスも指摘を受け、その点を修正すればより素晴らしい作品になる、との講評だった。

新人賞に応募した場合、最終選考に残らないかぎり、講評というものは著者にわからないものである。それを直に聞くことができ、とても新鮮な気持ちだった。 それから菊池さんと銀座でお会いし、より詳しく作品の講評をいただいた。執筆中は気づかなかったが「なるほど」というものばかりで、時には読者の目になって、作品を作ることが大切とおっしゃってくれた。 また文章を書くことの意義、新人作家を発掘する想い、これからの文壇など、菊池さんは熱く語ってくれた。一つ一つの言葉がすとんと胸の中に落ちる瞬間だった。

当然、この時点でデビューができるとは頭の片隅にもなく、指摘していただいた点を書き踏まえて推敲にとりかかった。

普段は別な仕事をしており、その分、どうしても書く時間が制限されてしまう。三ヶ月かけて推敲を終え、それを提出した。すると今度は別な編集者の方に講評をいただき、その部分を修正して提出し、また別な編集者の方の講評を元に推敲し……その作業が何度も続き、最初に応募してから一年が過ぎても、まだ推敲に推敲を重ねていた。 菊池さんの口から具体的なデビューの話が出たのは、今年の七月だった。十月デビューに向けて頑張ろうと言葉をもらった。

その際、「作家には才能が必要ですか?」と質問すると、ほんの一瞬、菊池さんは考えてから「必要だね」と力強く答えてくれた。 今回、自分がデビューできるということは、作家としての才能があるということになる。本当に才能があるのなら、もっと早い段階で新人賞を獲り、デビューしていたのではないか。作家としての才能がないから、こうして二十年もかかったのではないか、と尋ねた。すると菊池さんは「あなたは二十年も書き続けられる才能があるんだよ。多くの人は途中で挫折している。書き続けることが大切なんだよ」とおっしゃってくれた。

目から鱗が落ちた瞬間だった。今の今まで、書き続けることが才能だとは思ってもみなかった。創造力、文章力、構成力、想像力、表現力、一つの作品を仕上げるには様々な力が必要となるだろう。何よりも大切なのは、書き続けるかどうかなのだ。

今回、菊池さんを初めとして、作家育成会とナショナル出版のスタッフ、そのほか様々な方のおかげで、作家としての道を歩むことができました。報恩感謝の思いでいっぱいです。

聖さん第3回「夢を追い駆ける」

作家を志し、日々の仕事をする傍ら、文章を書き続ける人は多くいることだろう。しかし、作家という職業は、なりたくてなれるようなものではない。 新人賞に応募して大賞を取るということは、宝くじが当選する確率よりも低い、と聞いたことがある。もちろん、単に確率の問題ではないだろうが、それだけ狭き門ということである。技術や運だけではなく、それを超える何かを身につけ、意識していかなければ、この針の穴を通すがごとく狭き門は克服できない。

夢を追い駆けて――。
響きはいいかもしれないが、所詮、夢は夢で終わってしまう。 自分の場合、第一回目の寄稿では「覚悟」と書いたが、それは人によって様々あると思う。自分自身で探求し、そこから導き出したものが自分の支えとなる。「ああ、これだな」と思った瞬間、作品に対する思い、書き方、姿勢などがおのずと違ってくるだろう。今まで見えなかったものが見える、と言った方がすんなりと理解できるかもしれない。 人生を懸けて一つのことを極めようとすれば、時として様々なことを犠牲にし、または我慢しなければならない場合が出てくる。諦めてしまっては、犠牲は犠牲で終わってしまうが、目的を果たした瞬間、それは自分にとって何物にも変えがたい糧となる。

どれほど完璧な作品を作り上げたとしても、それを認めて、評価してくれる人物との出会いがなければ、それまでである。出会いなんてたまたま、と思われるかもしれないが、書き続けていなければ出会いも巡ってこない。こればかりは不思議なもので、ペンを止めた瞬間、その人は目の前から去って行くだろう。 いつか自分を認めてくれる人が目の前に現れる――。

なんとも頼りないことのように思えるが、結局は信じるしかないのだ。作家を志しているかぎり、目には見えない波動が周りの人に伝わり、様々なかたちとなって自分に跳ね返ってくるはずだ。
今回、作家としてデビューすることができ、人との出会いの大切さを実感した。自分を応援して、励ましてくれた人はもちろんのこと、様々な人との出会いがあってこそ、今の結果があると思う。出会いがなければ、今も作家を志していただろう。菊池さんもおっしゃっていたように、大切なのは執念をもって書き続けることなのだ。

デビューが決まった時、菊池さんは「こんな嬉しいことはないね」と何度も何度もおっしゃってくれた。満面の笑みを浮かべて喜んでいる菊池さんを見ると、作家という道を歩んでよかったと心から思えた。 自分の書いた文章で周りの人が喜び、少しでも幸せな気持ちになってくれるのは、著者として何よりも嬉しく、それは最高の瞬間かもしれない。

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